私と潰瘍性大腸炎とギターと(2)
はじめに
こんにちは!6つの診療科に通う男、作業療法士のコージです!
私は12歳の時に潰瘍性大腸炎という難病を発症しました。それから20年近く治療を続けています。
現在は潰瘍性大腸炎だけではなく、複数の病気を発症し、6つの診療科にて治療を行っています。
詳しくはプロフィールをご参照ください。
そんな私が潰瘍性大腸炎を発症し、ギターと、音楽と出会うまでの記事はコチラ→私と潰瘍性大腸炎とギターと(1)
今回は私立の進学校から通信制の高校に編入、そして音楽学校(ミュージシャン養成校)に入学するまでを書いていきたいと思います。
リアル「今日から俺は!!」をお届けしましょう。
ここから私の最高にROCKな人生が始まります。
※全てノンフィクションでいきます!
私立の進学校へ
軽音部へ入部
公立の進学校を目標にしていましたが、潰瘍性大腸炎の症状が落ち着かず、受験勉強に専念することができませんでした。その結果、私立の進学校に進路を変更します。
入学直後に私は軽音部へと入部しました。私の周りは高校に入学してからギターやベース、ドラムを始める人が多かったです。
中学二年生からギターを弾いていた私は先輩の目に留まります。先輩がヴォーカルをやっているバンドに加入することになりました。
スタジオ練習
そして初のスタジオ練習デビューを果たすことになります。初のスタジオ練習ではBUMP OF CHICKENの「メロディーフラッグ」と「ダイヤモンド」を弾きました。
BUMP OF CHICKENがメジャーになって初めてリリースしたアルバム「jupiter」に収録されている二曲です。
前日の夜は興奮して眠れなかったのを覚えています。何度もバンドスコアを見ながらCDに合わせて練習をしました。
スタジオに入室した瞬間…
アンプでけぇ!使い方わかんねぇ!
先輩達に色々教えてもらいながらセッティングをしました。
そして音を出した瞬間…全身に鳥肌が立ちました。
すげぇ!!!すげぇすげぇ!!!一体なんだこの感覚は!?一瞬にしてテンションは最高潮に達しました。
初心者セットについてきたアンプとはまるで比べ物にならないほどの衝撃と音を感じたのです。
スタジオ練習は二時間でしたが、終始身体中がゾクゾクしっぱなしです。今まではずっと一人で黙々とギターを弾いてきましたが、こんな体験は初めてでした。
脳天まで完全にシビれ、最高にハイな気分です。何もかもが吹っ飛んだような感覚でした。
翌日
翌日興奮が冷めないまま、美容室へと行きました。そして頭をツンツンヘアーにし、自分で髪を染めたのです。両耳にピアスもあけました。
更にその翌日、茶髪にピアスをして登校すると速攻で先生に呼び出しをくらったのは言うまでもありません。
再び入院
4月に高校に入学し、この間わずか二カ月間でした。6月に潰瘍性大腸炎が悪化し、再び入院となります。
約一か月の入院期間中、ギターを弾きたくてたまりませんでした。点滴に繋がれ、絶食をし、ベッドに横になりながら色んなことを考えました。
そしてある決断をします。
「今のうちにやりたいことをやろう」
本格的に音楽活動をするのは高校を卒業してからにしよう…そう思っていましたが、これまでに何度も入退院を繰り返してきた私にとっては我慢の限界でした。
「自分の体がいつどうなるか分からない」そういった不安が私を襲ってきたのです。
高校を辞める決断をしました。
そして音楽学校へ
家出
退院後すぐに「高校を辞めて音楽活動をする」「音楽学校に行かせてくれ」と親の説得を試みました。もちろん大反対されます。
夏休みに入ると私は家出をしました。ギターを担いで友達の家を転々としました。(友達の親に様々な理由をつけて泊めてもらうのは大変でした。あとは高校の寮に住んでいた友達の部屋にこっそり忍び込んだり…)
そして高校だけは卒業することを条件に、ついに親が折れてくれたのです。
ゲリラ出演
こうして私は通信制の高校に編入し、音楽学校(ミュージシャン養成校)に入学することが決まります。
しかし、夏休み明けに再び体調を崩してしまいます。そのため、通信制の高校に編入するのは来年度にし、学校を休んで療養することになりました。
学校を休んでいた私ですが…軽音部の先輩達と共謀し、文化祭に開かれる軽音部のライヴにゲリラ出演します。
もうすぐこの学校を去る私にとって怖いものは何もありませんでした。
文化祭当日、茶髪にワックスとスプレーを塗りたくり、ツンツンにセットしました。もちろんピアスも忘れません。そして私達のバンドの順番に何事もなかったかのようにステージに姿を現し、セッティングを始めました。
「あれコージじゃね?」そんな声が聞こえてきましたが、気にせずライヴを始めます。
出演バンド数が多かったため、たった二曲の演奏でしたが、全力で暴れまわりました。
演奏が終わると…「お前ら全員かかってこいやぁぁぁぁぁぁあああああ!!!!!!!」
と中指を立てて絶叫し、ギターをブン投げました。
そしてステージから客席にダイブしたのです!(私を受け止めるための役を数人最前列に仕込んでおきました)
客席で、もみくちゃにされながら「やってやったぜ!」と最高の気分に浸っていました。
私達のバンドのライヴが終わると、私はさっさと帰りました。
予想通り大騒動になります。なんだあの一年!?ぶっ殺す!!!など特に不良グループが凄かったらしいです。(一応進学校のため不良は一部だけでしたが)
学校にほとんど行っていなかった私ですが、一躍時の人になりました。
数日後不良グループと駅前で遭遇して絡まれたり…私の中学校卒業文集に載っていた写真を携帯電話(当時はガラケー)で撮影され、呪いのメールを流されたり…
まぁ色々とありましたが達成感は半端なかったですね(笑)あっ呪いのメールは「何人にメールを流さないとこの人に呪われます」みたいなやつです。
今日から俺は!!
そんなこんなで文化祭後も療養に専念し、次年度に通信制の高校に編入と同時に音楽学校のギター科に入学します。
その時に気合を入れて生まれて初めて金髪にしました。
その時の写メを公開しちゃいますよ!?
いいですか!?これがリアル「今日から俺は!!」です!
まぁ通信制の高校なんでちょっと違うかもしれませんが、そこは大目に見てやってください(笑)
年齢的には高校二年生でしたが、進級するために必要な単位が足りなかったため、もう一度一年次への編入となりました。
簡単に言うと留年ですが、前高校で取得した単位は免除されます。
※通信制の高校は必ずしも三年間で卒業ではありません。
一年間に取得する単位は自分で決めることができるため、四年間や五年間かけて単位を取得して卒業する人もいます。
しかし、一年間に取得できる単位数は決められているため、一年間や二年間で全ての単位を取得して卒業することはできません。
全ての単位を取得して卒業するためには最低三年間かかります。
これから三年間通信制の高校にて単位を取得しながら、音楽学校へと通うことになります。
終わりに
コージは本名ではありませんが全て実話です。
フェイクを入れて書こうかと思いましたが、めんどくさくなって止めました。
こんな滅茶苦茶な体と経歴の作業療法士なんて日本中探してもきっと私だけでしょう。どっちにしろ見る人が見たら私のことはすぐに分かってしまうでしょうしね。
ってことで開き直ってみました!
この後私は自身のバンドにてインディーズデビューをすることになります。
それから作業療法士になるまでの話は次回にさせて頂きたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました!
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