私と潰瘍性大腸炎とギターと(3)

2020年1月31日

はじめに

こんにちは!6つの診療科に通う男、作業療法士のコージです!

私は12歳の時に潰瘍性大腸炎という難病を発症しました。それから20年近く治療を続けています。

現在は潰瘍性大腸炎だけではなく、複数の病気を発症し、6つの診療科にて治療を行っています。

詳しくはプロフィールをご参照ください。

中学生の時いじめらていた私ですが、ギターとの出会いが塞ぎこんでいた私を変えてくれます。

私と潰瘍性大腸炎とギターと(1)

高校に入学し、軽音部に入部します。再び入院し、「今のうちにやりたいことをやろう」と決意。療養に専念することになりますが、文化祭のライヴにゲリラ出演し大騒動を引き起こしました。

私と潰瘍性大腸炎とギターと(2)

そして通信制の高校に編入し、ついに音楽学校へと入学することになります!

音楽学校

条件

音楽学校へと入学するにあたり、親から提示された条件がありました。

一つ目は必ず高校を卒業すること。二つ目が実家から通うことでした。

私が住んでいる所は田舎であるため、音楽学校は隣の県にあります。実家を出て一人暮らしをすることを希望しましたが、通院や体のことがあるため実家から通うことが条件となりました。

電車

通学には片道二時間かかりますが、私の気持ちが揺らぐことはありませんでした。

こうして私は通信制の高校で単位を取得しながら、片道二時間かけて音楽学校へと通うことになります。

落ちこぼれ

念願の音楽学校へと入学したものの、授業についていくことは全くできませんでした。毎日ギターを背負い、県外まで往復四時間の通学は私の体にとって酷でした。

潰瘍性大腸炎のため、朝はどうしてもトイレの問題があり毎日のように遅刻をしてしまいます。通学中にも何度もトイレに駆け込みました。

音楽学校の授業では音楽理論などの講義もありましたが、実技の授業がメインです。生徒内でバンドを組まされ、課題曲を演奏するライヴパフォーマンスの授業などがあります。

教室

同時に高校の課題もこなさなければなりません。

遅刻を繰り返し、休みがちな私は周りについていくことができず次第に落ちこぼれていきました。

毎日のように課題曲を出されましたが、私はまともに演奏をすることができません。みんなの足を引っ張るばかりです。

周りとの差

元々私には「才能」がないのは分かっていました。

音感やリズム感が良いわけではありませんし、特別な演奏技術もありません。

私の通っていた音楽学校からは、数々のメジャーバンドやミュージシャンがデビューしています。

入学した時から「周りとの差」を感じていました。音感が良く、数回課題曲を聞いただけで完全にコピーしてしまう人。速弾きなど、演奏技術が半端じゃない人。在学中にメジャーデビューしてしまう人。

学校にろくに通うこともできない私は周りとの差が広がるばかりです。課題曲すらまともに演奏することができません。

「もう来なくていいから」と授業で組んだバンドのメンバーからはっきりと言われたこともあります。

周りは高校を卒業してから来ている人がほとんどでした。年齢的に高校二年生の私は最年少です。

いつも私は独りでいました。

それでもギターを弾くことが嫌になったことは一度もありません。諦めようと思ったことは一度もありません。

ギターアンプ

ギターを弾くことが大好きでしたし、今でももちろん大好きです。

音楽の力

変化

諦めずに学校に通い続けていると、不思議なことが起こり始めました。

まず感じたのは体調の変化です。一日中何度もトイレに行っていた回数が劇的に減少しました。少しずつ体力がついてきたことも実感できました。

遅刻や欠席する回数も減り、ある時を境に自身の演奏技術が飛躍的に向上したのです。自分の指がスラスラと動くことを感じられました。

それまでにぎこちなかった私の指が、信じられないくらいスムーズに動くのです。これは本当に自分の指か?と思うほどでした。

この頃はあまりの嬉しさに、当時のガラケーで自分の演奏動画を毎日撮影していました(笑)

運命の出会い

そして運命の出会いを果たします。

授業が終わり、学校のすぐ近くのスタジオのバンドメンバー募集掲示板を何気なく眺めていると、その中の一つが目に留まりました。

学校に通うことと、高校の課題で精一杯だった私はまだ自身のバンドを組んでいませんでした。

募集のチラシには、「GLAYのコピーがやりたい」といった内容や「後々にはオリジナル曲も作りたい」といったことが書いてありました。

ギターとドラムを募集しており、ヴォーカルとベースは同じ高校二年生でした。(留年している私は一つ年上ですが)

気が付くと記載されていたメールアドレスにメールを送信していました。

通信制の高校で単位を取得しながら〇〇(音楽学校)のギター科に通っていること。自分もGLAYが好きでよくコピーしていること。同じ高校二年生であること(留年してるけど)。

そして、一緒にバンドをやりませんか?とメールに書きました。

メールはすぐに返ってきました。

「〇〇のギター科ってマジっすか!?今〇〇の前のマックにベースと一緒にいます!もしかして今から会っちゃったりとかできますか!?」

自分は金髪でギターを背負っていることを伝え、スタジオからすぐに学校の目の前にあるマックへと向かいました。

またしてもメールはすぐに返ってきます。

金髪(ヴォーカル)とベースを持っている二人組であることが記載されていました。

マックに着くとすぐにお互いが分かりました。

そして三人とも「何か」を感じ取ったようです。

「初めまして!」

「一緒にバンドやりましょう!」

これが後に一緒にインディーズデビューすることになる、ヴォーカルのTとベースのYとの出会いでした。

友達

こうして私はメールを送って10分後にバンドに加入していたのです。

そして作業療法士へ

卒業そして解散

三年後、音楽学校と高校を同時に卒業することになります。そしてその後、バンドは解散してしまいます。

ヴォーカルのTとベースのYは、超が付くほどの名門進学校の生徒でした。その学校は私服登校が許可されており、髪型なども自由でした。

自由な校風でありながら、何人もの生徒が東大に入るような学校です。

そのため、私との考え方にズレが生じていきました。

私は「自分の体がどうなるかわからない」といった気持ちから焦っていたのです。

音楽学校が運営しているライヴハウスから認められ、チケットのノルマなしでライヴを行えるようになりました。

私は「自分の体がどうなるかわからない」といった焦りから、メンバーのことを考えず次々とライヴの予定を入れました。

TとYは超名門校の生徒です。通信制の私なんかとは比べ物にならないぐらい課題もあったでしょう。

学業とバンドの両立は私なんかの想像以上に大変だったと思います。

そんなTとYに対して私は苛立っていました。自分のことしか考えていませんでした。

そして、私はメンバーに対して相談もせず、勝手に脱退してしまったのです。

ライター

バンドのホームページとメルマガで勝手に脱退を告げました。そして数日後…ホームページは削除されていました。

感謝

脱退をした際にTとYの連絡先も消してしまいました。あれから10年経ちましたが、それ以来一度も会っていません。連絡先も分からないままです。

TとYには本当に感謝しています。一緒にバンドを組んでいた日々は最高にROCKで最高に楽しかったです。

潰瘍性大腸炎という難病を抱えている私が、高校時代に青春の日々を送ることができたのもTとYのおかげです。

TとYと過ごしているうちに、私が18歳(高校二年生)の時、潰瘍性大腸炎は寛解状態にまで持っていくことができました。その4年後に再燃し、6つの診療科にて治療を行うことになりますが…

青春時代を寛解状態で全力で駆け抜けることができたのもTとYとの出会いがあったからこそです。

一緒に河川敷で野宿をして朝まで酒を飲み、酔っぱらった私は全裸で走り回ったり…(未成年の飲酒はダメですよ!!!)TとYの通っている高校に何食わぬ顔で侵入し、軽音部に遊びに行ってみたり…

TとYの高校の文化祭でマキシマムザホルモンのコピーをやったり…

入退院を繰り返している私にとって、TとYと駆け抜けた青春の日々はかけがえのない宝物です。

このブログを通して、いつかまたTとYに再会することができるのではないか、そんなことを考えています。そして「ありがとう」と言いたいです。

SDカードのデータを漁っていたら、ヴォーカルのTと一緒に撮った写メが1枚だけ見つかりました。

コージとT

10年前にCBXという単車に跨って撮った写真です。Tの目線は一応隠しましたが、このブログが届くことを信じて私の方は加工なしで投稿します。

(10年前の写真ですし、まぁ大丈夫でしょう!)

脱退後、数々のバンドを渡り歩きましたが、TとY以上のメンバーに出会うことはできませんでした。

Stay hungry,stay foolish

Stay hungry,stay foolish スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチを締めくくった言葉です。

この言葉はあまりにも有名ですが、この言葉を送る前「点と点はつながる」と述べていることはあまり知られていないのではないでしょうか。

「過去、現在の点が将来の点とつながると信じて行動せよ」ジョブズはこう述べています。

12歳の時に私は潰瘍性大腸炎といった難病を発症しました。いじめられていた私ですが、ギターとの出会いが塞ぎこんでいた私を変えてくれます。

そしてTとYと出会い、一度は寛解状態に持っていくことができたのです。その結果、青春の日々を送ることができました。

こうした体験から、私は医療の道に進みたいと考え、作業療法士になりました。

過去の点と現在の点、そして未来の点は確実に繋がっています。いつかまたきっと、TとYに繋がることができるのではないかと考え、こうしてこの記事を書いています。

終わりに

病気をネタにこういうことをするのはどうかと思い悩みましたが…またTとYに再会することを信じています。

実は私の現在の体の状態はあまり良くありません。6つの診療科で治療を続けていますが、あらゆる治療を試しました。

あらゆる新薬も試しましたが、どれも効果がなく、今度は治験を試し未承認薬を使用する予定です。(治験は偽薬にあたってしまう可能性もありますが)

予後はあまり良くないと主治医の先生からもはっきりと言われました。20年近く治療を続けてきましたが、数年前の再燃以来様々な症状が出現してきました。

これからも免疫の異常により、何が起こるか分からない状況です。

現在はなんとか生活をすることができでいますが、最悪のことも考えておかねばなりません。

今までやりたいことを妥協せずに全てやってきた私ですが、一つだけ心残りがあります。TとYに何も言わずに脱退してしまったことです。

もう一度TとYに会って「ありがとう」と言いたいです。

病気をネタにし、厚かましいお願いかもしれません。

もしよろしければこの記事をシェアして頂けないでしょうか?

自分のことしか考えず、勝手に脱退したあげく厚かましいのは重々承知しています。もしかしたら同じように病気を抱えている方を不快にさせてしまうかもしれません。

それでも「ありがとう」と伝えたいです。

読んでくださった方が少しずつシェアしてくだされば、いつかきっと叶うかもしれません。いや叶うと信じています。

どうぞよろしくお願い致します。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました!

私と潰瘍性大腸炎とギターと(1)

私と潰瘍性大腸炎とギターと(2)

 

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