【難病】の私が【生きる意味】について考えてみる
難病ってめちゃくちゃ辛いですよね。
あまりの辛さに、生きてる意味が分からなくなったりしますよね。
難病の治療を20年近く続けている私は、何度も挫折や絶望を経験しましたが、その都度「生きる意味や目的が変化」してきました。
何事も、悪い面があれば必ず良い面もあります。
難病は確かにめちゃくちゃ辛いですが、私は視点を変えることで乗り越えてきました。
はじめに
6つの診療科に通う男、作業療法士のコージです!
私は12歳の頃に潰瘍性大腸炎という難病を発症し、約20年治療を続けています。
数年前から様々な症状や合併症が起こり、現在は6つの診療科で治療を行っています。
詳しくはプロフィールをご参照ください。
何度も生きている意味が分からなくなり、自暴自棄になった時期もありました。
生きる意味って変えてもいいし、変わっても全然いいんですよ。
難病の私が繰り返した挫折と絶望
12歳で難病に指定されている潰瘍性大腸炎を発症してから、今まで本当に色んなことがありました。
自分語りで申し訳ありませんが、私の経験を紹介したいと思います。
小学生の頃、私はサッカー少年でした。
絶対にプロのサッカー選手になると疑わず、サッカーこそが私のすべてでしたし、生きる意味でした。
しかし、難病を発症してから私の生活や人生は一変することになります。
何度も入退院を繰り返し、大好きなサッカーをすることもままならなくなり、絶望を味わいました。
しかし、中学生の頃に音楽とギターと出会い、それからは生きる意味が音楽に変わったのです。
通信制の高校で単位を取得しながら音楽学校へと通い、私はギタリストになりました。
まさしく、NO MUSIC,NO LIFE でした。
ギタリストになり、自身の治療を続けながら、音楽の力を強く感じるようになります。
音楽の経験と、難病治療の経験を活かしたいとの思いから、作業療法士を志すようになりました。
医療系の大学に入学しましたが、大学三年次に潰瘍性大腸炎が再燃し、様々な症状や合併症が起こり始めます。
アメリカの作業療法を学ぶために留学することが目標でしたが、体の状態から挫折することになりました。
その後は治療のために一年留年し、やっとの思いで実習や国家試験を乗り越え、何とか作業療法士になることができました。
治療を続けながら何とか作業療法士として勤務していましたが、線維筋痛症を発症して退職することになり、またしても絶望することになります。
退職後はハローワークや難病相談支援センターによる援助を受けたり、職業訓練のWebデザイン科へと通ったりしましたが、あまりにも質が低いために挫折しました。
難病患者に対する国の支援の質が低すぎるために絶望しましたが、難病や障害を抱えている人が活躍できるような場を自分で起業しようと決意します。
そして、それが今の自分の生きる意味であり目的です。
自分語りがかなり長くなってしまいましたが、上記の経験をもとに生きる意味について考えていきたいと思います。
難病の私が送ってきた人生について興味を持ってくださった方は、以下の記事も読んで頂けると嬉しいです。
生きる意味や目的は変えてもいいし変わってもいい
あくまでも私の考えですが、そもそも生きる意味なんて存在しません。
別に私が死んだからといって世の中がどうにかなってしまうわけではないですし、人間なんてちっぽけなものです。
大統領や総理大臣が死んでも、影響は多少あるかもしれませんが、世の中は普通に回り続けます。
生きる意味や目的が存在しないのなら、自分でつくってしまえばいいのです。
上記した私の経験を読んで頂ければ分かりますが、生きる意味や目的がめちゃくちゃ変わっています。
私は生きる意味や目的を見失い、挫折や絶望するたびに、新しい道を見つけ出してきました。
新しい道を進むことで、新しく生きる意味や目的と出会うことができます。
新しい道を探して進むということは、決して諦めたり逃げたりするということではありません。
難病を抱えている人に対して
諦めなければ絶対に治る!
などと言う人がよくいます。
こういう人たちの言い分としては
「医学は日々進歩しているのだから、近いうちに新薬や治療が見つかり、完治するかもしれない」
ということです。
私はこのセリフを、様々な人たちから数え切れないほどに聞かされてきました。
こうした考え方もありかもしれませんが、あまり現実的ではありません。
そもそもこうした他力本願な考え方では、自分ではどうすることもできませんよね。
難病という現実を変えることは難しいかもしれませんが、心の姿勢は変えることができます。
心の姿勢を変え、新しい道を模索する方が現実的です。
考え方や視点を変えてみる
新しい道を模索するためには、考え方や視点を変える必要があります。
考え方や視点を変えるためには、やり方を変えてみることです。
またしても自分語りになってしまいますが、線維筋痛症を発症した私の場合を例にしてみます。
線維筋痛症を発症してしまう前の私は、とにかく何事も完璧にやり遂げないと気が済まない性格でした。
発症してからこうした性格を変えようと試みましたが、私の頑固な性格は変わりませんでした。
そこで、やり方を変え、活動と休息のバランスを見直すことにしたのです。
活動時には全力で取り組みますが、必ず余力を大きく残した状態で休憩をするようにしました。
休憩をとるようにやり方を変えた結果、パフォーマンスが向上し、逆に時間の短縮になることに気が付いたのです。
やり方を変えた結果、考え方が変わり視点が変わったのです。
考え方や視点が変わると、新しい価値観が生まれます。
私はこのことから、休憩を適度にとる人は自己管理をすることができる人だという新しい価値観が生まれました。
新しい価値観が生まれると、新しく生きる意味や目的を見つけやすくなります。
線維筋痛症を発症した際には絶望しましたが、休憩の大切さを本当の意味で知ることができたことは、作業療法士として良かったとさえ思っています。
何事にも必ず悪い面と良い面の両方があります。
難病はめちゃくちゃ辛いですが、少しだけ考え方や視点を変えてみませんか?
活動と休息のバランスについて詳しくはこちらの記事で解説しています↓
終わりに
生きる意味や目的を見失ってしまったとき
「考え方や視点を変える」
「やり方を変えてみる」
こうした方法で、私は難病を発症してからの約20年を乗り越えてきました。
私の方法が絶対に正しいとは思いませんが、少しでも参考になれば嬉しいです。
「人は誰しもが幸せになることができる」ということを教えてくれた二冊です。
かなり有名な本ですが、リンクを張っておきます。
難病を抱えている方にもぜひ一度手にとって頂きたい本です。
最後まで読んで頂きありがとうございました!
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